卯月書庫

卯月書庫 ―Hero's Life2―

マンガ・小説・etc.の読書解釈文ブログ

【天地の間】起 ―2

 

 キシュナは一人木立に隠れながら、

足の震えを止めようと自分を叱咤していた。

 

 飛び交う大人たちの怒号が、

誰も彼もが慌てふためく有様が、

至る所から上がる甲高い悲鳴が、

自分を恐れさせているのだとわかっている。

わかっているから、この震えを止めたかった。

さっさと足に力を取り戻して、駆け出して、

何が起こったのかを知らなければならない。

自分は王女なのだから。

 

「くそ、抜け出してくるんじゃなかった! 動け、あし!」

 

 ばしばしと自分の足を殴りつけながら、

新年祝賀の舞踏会を抜け出してきたことを心底後悔した。

キシュナが七つになった祝いも兼ねていたため、

誰彼かまわずひっきりなしに言葉を交わし、

ダンスを申し込まれ、飽きたし疲れたしで限界だったのだ。

 

「葦原で何が起きた!」

「葦原を探らせろ! 今すぐに!」

 

 悲鳴と怒号の合間に聞こえてくるのは

内海を越えた先にある国の名だった。

遙か東にある国が、一体何をもたらしたというのだろう。

交流らしい交流もないというのに。

 

「葦原に龍はいないか探りなさい。これは龍の神気……」

 

 誰よりも冷静で誰よりも澄んだ声色が、キシュナの脳髄を直撃した。

比喩でもなんでもなく、彼女の声はいつも、脳に直接響いてくるのだ。

キシュナが王家の血を引くからではない。

聖力を持つ者はみな、彼女の、ルークスの声をそうやって聞く。

そして今も聞いただろう。

 

「りゅう……? ってなんだ、それ。葦原にいるのか……?」

 

 そしてこの怒号の原因なのか。

 確かめるためには静寂を残す木立の中から

怒号と悲鳴の恐怖の中へ行かなければならない。

足の震えは止まっていた。

 

「まずは舞踏場に戻って、りゅうとやらについて父上たちにきく」

 

 よし、と一声腹を決め、キシュナは木立を飛び出した。

 右へ左へ走り回る大人たちを華麗にすり抜けていきながら、

彼らの言葉に耳を傾ける。

先ほどは恐怖のためにぼやけていた彼らの言葉が、

やるべきことを決めた今はすんなり耳にはいってくる。

 

 何が起きたかわからないと喚いてばかりの者の中、

「イグニスの当主が死んだ」

「いや、アルボルの当主から急に爆発が起きた」

「舞踏場も会食場もひどい有様で」

「暴発に巻き込まれた人がたくさん」と、

断片的に悲惨な言葉ばかりが

キシュナの耳に流れ込んでくる。

 

 だが彼女の身の内に、恐怖はもうない。

冷静に大人たちから聞こえてくる情報を捉え、

「五家の当主にひどいことが起きた」

「当主の何人かが死んだ」と、

それだけを頭に入れ駆ける。

そして、舞踏場に着く前に、人だかりにぶつかった。

 

 大勢の人間が出入りし固まり群がり押しとどめ、

てんやわんやの騒ぎになっている。

そこは会食の広間だった。

心臓が、ひときわ大きく跳ねた。

 

 足は止まり、とっさにケープの内ポケットを探る。

そこにはクッキーが数枚入ったままだった。

リイド家の当主が、抜け出してきたキシュナを見つけて

こっそり渡してくれたのだ。

外は寒いから、これを食べたらすぐに戻るようにウインクして。

 

 彼はキシュナがどこに行くのかわかっていた。

ルークスのもとへ、気晴らしに話をしたら……

そう、このクッキーを食べ終わるまで好きにしていいよと、

気遣ってくれたのだ。

キシュナの脳裏に、駆けていくなか耳にした

「イグニスの当主」と「死」が結びつく。

 

 這うようにして大人たちの足の間をすり抜けた。

誰一人、彼女の存在に気づかなかったのは幸いだったのか……。

 

 まろび出たキシュナがまず目にしたのは、

焔のごとき鮮やかな赤。

それが転々と白亜の床に散っていた。

その滴が意味するものはわかっている。

見てはいけない。いや、見なければならない。

 滴をたどるその先に、赤い湖はあった。

 

「キシュナ様!」

 

 視界が暗転する。誰かが、キシュナの眼を覆ったのだ。

 だが、もう、遅い。

 湖の中に浮かぶ肉塊。

ちぎれた手首。転がる眼に金色の指輪。

破壊された天井から降り注ぐ月光に照らされて、

誰かの一部が蒼白く輝いていた。

 

「見てはいけません。これ以上、見てはいけません……!」

 

 きつく抱きしめられる。

頭を押さえられ、人のぬくもりが頬を伝わる。

 

 それでもなお、キシュナの視界にあるものは、

近衛の礼服などではなかった。

 

 鮮血と蒼と。

 ギラギラと月光を照り返す、突き立てられたイグニスの剣だった。

 

 ――舞踏場も同じ有様だ!

 ――ウェントゥスもやられた!

 ――イグニスはまだましだ。アルボルは跡形もない!

 

 怒号と悲鳴は今なお鳴り止まず、キシュナの中に刻まれる。

 イグニスの当主は死んだ。

 ウェントゥスの当主は死んだ!

 アルボルの当主は死んだ!

 

 ――葦原を探りなさい。

 ――葦原に龍がいないか、探りなさい。

 

 葦原のせいで。

 キシュナの指が拳をつくる。

 葦原のせいで、死んだ。

 イグニスのおじさまもウェントゥスのおばさまもアルボルのおじいさまもみん

な……!

 全ては葦原のせい。

 葦原に巣くう龍のせい。

 キシュナの脳に心に魂に、果てなき怒りは刻まれた。

 

 

 

 

 

 今日一日は鳴り止むことがないであろう、乾杯とおめでとうの嵐。

グラスを打ち合わせる音、次々運ばれる料理と美酒の香り。

新年を祝う島をあげての大宴会は、

その場にいるだけで心地よい酩酊を覚えるほど

陽気な空気にあふれていた。

つい先ほどまで、その陽気な空気の中にいたのが、

遠い昔のように思える。

 

 下宿先に帰ってきた梅麻呂と冬吾の前に繰り広げられている光景は、

凄惨極まる惨憺たるものだった。

 

「どおりで俺たちに、なんの知らせも届かないわけだ」

 

「西華軍を寄越すなんて……

ヨランダさんの推測、あたってたんじゃないですか、コレ? 

ていうか、行動早すぎません?」

 

宴の明かりも届かぬ路地裏。

それでもはっきりくっきり様子がわかるのは、

兵士たちが掲げる松明とそこかしこに置かれた篝火のおかげだ。

西華軍の指揮のもと、神術師たちを下宿先、どころか

島内全土から本土へ強制送還させようと作業をしているようなのだが……

そこは命よりも好奇心の術師たち。

宴よりも研究をと残った彼らは

のらりくらりとどこ吹く風で軍人たちをやきもきさせていた。

 

 怒鳴り散らしては早くしろと身支度を急がせる兵士たちに、

不当だなんだと文句をつけ読みかけの本を閉じようともせず、

業を煮やした彼らが研究材料を運ぼうとすれば、

「それに触るな!」と喧喧諤諤の大騒ぎ。

触った者は急に笑い出しては半裸になり、

周りを恐怖のどん底に陥れ、

隊長は「なにを作りやがった!」と半泣きになる始末……。

 

「……自分、術師であることは誇りだったんですが、

あれと一緒だと思うと胸焼けが」

 

「どんまい冬吾くん。君も十分彼らと同じ、好奇心に忠実人間だ。

ところで、西華軍は俺たち二人がいないことに気づいていると思うか?」

 

「いや、どうでしょう。

今はそれどころじゃないように見えますが……

気づいてなかったら梅さん、残るんです?」

 

「見つかるまでは残りたい。見つかっても逃げ回りたい。

俺、ヨランダのところ行ってくるわ。

日常は戻らないかもだが、うまいことやるってな」

 

 ふざけた物言いのわりに、瞳は真剣だった。

かつて葦原とエデンの関係が悪化したとき、

葦原側は永世中立島に術師が渡ることを禁じたことがある。

そのために両国の神術・導術に対する知識は大幅に遅れ退行し、

共同研究の成果も芽も潰れた。

だが、幾星霜ののち、

葦原人の術師とエデン人の導師が手を組む種がまかれ、

それを育てあげたのが梅麻呂とヨランダだった。

この果実を、今また潰されるわけにはいかない。

 

 梅麻呂の神の子、松風が

闇より黒い鬣と体躯で彼の姿を隠す。

黒馬の背に隠れる梅麻呂の姿は、

煌々と燃える松明と篝火でも届かぬ路地の細い闇に溶けて消えた。

 

「できるだけ逃げ回ってくださいよ。循環の研究は葦原にとっても重要ですから」

「わかってるさ。だからな、冬吾。あれ、足止めしてくれ」

「あれ?」

 

 振り向いた冬吾が視認するよりも早く、

水のムチが彼と、彼の背の闇を襲っていた。

しかし響いたのはムチが炸裂する音ではない。

瞬時に水が凍り付く甲高いパキパキ音。

次いで砕ける煌めきの音。

 

 冬吾の氷の神の子、氷牙の力がムチを砕いたのだ。

 

「一名逃走! 一名は戦闘の意志あり! 昏睡させます!」

 

 ムチを放たせた男が叫ぶ。

術師の混沌に相当怒りがたまっていたのだろう。

冬吾に対する彼は戦る気、いや、殺る気満々で眼をギラつかせている。

どうやら、術師は民間人であることを失念しているようだ。

 

「あ、すみません。降参します。白旗あげます。梅さんどこ行ったか教えます」

 

 冬吾はあっさり降伏した。

彼とは裏腹に牙をむく氷牙の小さい体を押さえながら。

研究も大事だが、それを続ける命のほうが遙かに大事だ。

梅麻呂に対しては心のなかでエールを送ることにした。

 

 ――梅さんがんばれ。俺に軍人を足止めするのはムリです。

 

  

 

udukisyoko.hatenablog.jp

udukisyoko.hatenablog.jp

天地の間を無料で読む カテゴリーの記事一覧 - 卯月書庫 ―Hero's Life2―

 

電子書籍で読む】

  

 

kindleの他、BCCKSにて販売しています。

こちらではEPUBデータのダウンロードも可能です。

詳細はこちら↓

bccks.jp

当書庫本館はこちら↓

heroslife.cacao.jp